厚生労働大臣と内閣総理大臣補佐官が同時に誕生し、政府にも大きな影響を持つ我が街「世田谷」でありますが、輩出した要職とともに注目されているのが「1票の格差問題」であります。
今春、最高裁から「違憲状態」との判決が出されたことで、与野党で協議が行われているのですが、この世田谷区を含む東京5区と6区は、まさにその議論の中心と言っても過言ではありません。
なんせ84万以上の人口を抱える世田谷区でありますから、1票の軽さでいうと東京6区が全国3位、東京5区が24位という記録をマークしておりますし、衆議院の小選挙区の見直しがされるならば、間違いなく再編成される地域なのです。
そんな中、どこからともなく聞こえてくるのが、東京5区の目黒と世田谷を切り離して、世田谷だけで2つの選挙区を作るという、出所不明の噂です。
こういった場合に地方議会の現場では、当事者である現職議国会員や候補予定者をまったくヨソに、実に様々勝手な憶測が飛び交うものでして、曰く
「砧地域は世田谷南部になるかもしれないから、○○は...」
とか
「目黒と世田谷が分かれるということは、△△はこっちを選ぶんじゃないか...」
とか
「選挙区が1つ増えるから落選中の□□や都議会の☆☆が鞍替えで出てくるかも...」
といった無責任な情報を叩き売る予想屋が増殖している訳です。私も含め。
一方で、実務的に最も影響があるのは地元事務所の秘書でしょう。
「え~! せっかく頑張って貼ったポスターも剥がさなきゃいけなくなっちゃうの!?」
「え~! すごく応援して頂いているのに、もう有権者じゃなくなっちゃうの!?」
そんな嘆きも聞こえてきそうです。
個人的には、学生時代から秘書として隅々まで回ったのが東京5区ですし、自分の家と学校の周り以外にこんなに詳しく知ってる東京は、目黒区と世田谷区の玉川地域だけです。
衆院選挙の時を除いて世田谷だけでの活動になっても、両地域に対する愛着は変わることがありません。尾山台が手塚さんの選挙区じゃなくなっても、中目黒が手塚さんの選挙区じゃなくなっても、違和感が残るだろうしきっと寂しくなるのが正直なところです。
とはいえ、1人が持つ1票の平等は民主主義において非常に大事であります。
世田谷区に住む人が持つ1票の価値がしっかりと1票の重みにならなければいけませんし、そしてその1票で選ばれた議員が重みを感じしっかりと仕事をしなければいけません。
政治文化を変える最先端を歩んできた手塚イズムで、地方政治を変える最先端を歩んで行かなければと、区長も交代して何かと変化の多い世田谷に身を置くからこそ、なおさら痛感している今日この頃、与野党協議の結果を待ちたいと思います。
満面の笑顔で両手を掲げたのは、自民党の前区議会議長でも、石原都知事と固い握手を交わした元民主党の造反都議でも、民主党が推薦した唯一の女性候補でもなく、市民運動を背景にしたダークホース・保坂展人氏だった...。
今年も暑い夏が近づいてきました。観測史上初めて6月に39.7度を記録し、酷暑と呼ばれた昨年に匹敵する夏到来を予感させていますが、東日本大震災という大きな傷をみんなで乗り越える情熱の夏にしていかなければいけません。
そんな中、国政では政局と無責任が横行して混乱が続いています。復興支援を優先することなく、只々感情的に菅総理への反対を優先する被災地無視の野党。
少し前に不信任案に反対したにも関わらず素晴らしい忘却力を発揮し、両院議員総会で噛みつく姿が報道される国会採決を馬鹿にした民主党議員。
菅じゃダメ、自公もダメと批判を繰り返しながら、じゃあ誰がいいのかということには全く触れない提案ゼロの極めて無責任なメディア。
誰もが冷静になって考えれば、菅さんが総理の椅子にしがみついても全くメリットはないことぐらい一目瞭然ですし、何より選挙をやっている場合ではありま
せんから、すべての関係者が今すぐ目を覚まして無意味な足の引っ張り合いから、速やかな復興支援へ100%の注力をしなければいけません。
さて、そんな国政を後目に地方自治体の迅速なフットワークが注目を浴びています。新生世田谷の先頭に立つ保坂展人区長も、復興先進自治体を目指して様々な取り組みを開始しています。
職員派遣や被災者受け入れだけでなく、既存の各種団体に固執することなくNPO団体の被災地ボランティア支援にも積極的な姿勢を打ち出したことは、これまでの世田谷では決して実現しなかったことです。
また、内政における改革もこれまでにない変化を見せています。
副区長をメンバーチェンジし、区議全員と意見交換をし、区民との車座集会を企画し、公約通り区長の退職金をゼロにしました。
一気にふた回りも若返り、お恥ずかしながら世田谷区政史上初めてメールが使える区長が誕生した影響は、最初はどんな区政運営をするのかと値踏みしていた区議会の各会派にも期待感や警戒感として如実に表れています。
その分、これまでの役人作成棒読みの区長答弁ではなく、本人の想いのこもった区長答弁になり、非常に活性化した区議会でのやり取りになりました。
もちろん、区議会議員としては行政のチェック機能が大きな仕事のひとつですから、これから迫る多くの課題に対しての行政の取り組みに、「いいものはい
い、悪いものは悪い」という当たり前の立場で臨んでいきますが、一方でこの4年間提案して潰され続けた数々の改革案も再度日の目を浴びるチャンスと期待し
ていますから、しっかりと議員としての提案機能を果たして世田谷の未来に貢献をしていきたいと思っています。
今年も暑い夏が近づいてきました。
レディーガガに盛り上がり、チャン・グンソクに酔いしれて、ホサカに注目が集まる、そんな夏の予感がヒシヒシとしています。
前向きに変わりつつある世田谷に、皆さんと共に創り上げていく世田谷に、熱い声援とともに是非ともご期待ください。
地方であっても、これ以上政治が裏切るわけにはいきません。期待は裏切りませんし、裏切らせませんから。
言葉がありません。
突然の天災によって、多くの命が流されました。生活が、思い出が、財産が、建物が、何もかもが流されました。
そして、地震、津波と連なった悪夢は、原子力へと広がりました。
避難する人、残って復興を目指す人。水や野菜の放射性物質の問題。
次から次へと起きる事態に、身を任せるしかない現実。
そんな中で、節電や義援金や救援物資と、今すべての人が自分の立場で自分に出来ることを考え、実行をしようという空気が国中を覆っています。
これから何十年とかかる復興は東北の戦いではなく、日本としての大きなチャレンジになります。決して数年後に過去のものとせず、東北の方だけでなく全員が当事者として胸に刻みつけ続けなければいけないと痛感しています。
少しだけ政治の話もします。
4年に1度の決められた選挙が延期をされることなく近づいてきました。
世間は完全に自粛ムードですから、世田谷区でもこれまではまったく違う1週間になることが予想されますし、選挙どころじゃないという空気のまま突入すれば投票率が下がり、新人には厳しく現職には有利に働くかも知れません。
それは皆が等しく活動が制約される中で、日常的な活動や「3.11」以前に流した汗が大きく影響するという好ましい反面、古い政治を壊すのに不可欠な、議員の潤滑と、世代交代にはあまり好ましくない側面を持っているのではないでしょうか。
いずれにしても4年という長期間の世田谷区政を担うことになる、大事な選択の刻。
華美な活動を控えるのはもちろんのこと、節電や迷惑を一層心掛けた戦いが求められているのと同時に、何が出来るか、何をやるのかをしっかりと明確にした責任ある論戦が今だからこそ求められていると思っています。
こういった状況であればなお、強い意志のある選択をして頂きたいと思っています。
最後になりますが、この度の震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災をされた方々に心からのお見舞いを申し上げ、避難生活を強いられている方々、地元に残って頑張っている方々の一日も早い復興をお祈り申し上げます。
「がんばろう、NIPPON!」
新年明けましておめでとうございます。
「暑」の1年が幕を閉じ、さて今年はどんな年になるのでしょうか。
周辺では酒があってもなくても統一地方選の寂し〜い話題しかのぼりません。
松戸がど〜だの、茨城がど〜だの、西東京がど〜だのって類の話です。ただ、嘆いていても状況は都合よく変わるわけがありませんし、85万世田谷区民の中から4.000人に信託を頂くのですから、結果を誰かのせいにするわけにはいきません。
そもそも未来は自分で切り拓くもの。
しかも保身で改革をSTOPしてはいけませんから、年末には民主党々主導で、議員定数を52から50に減らす条例なんて実現しちゃいましたし!
え? まさか後悔なんてすてません(汗)。むしろ時代はAKB。なぜ定数を48にしなかったのか、最高の数字的根拠だったのにと、そっちの方が悔やまれてなりません(笑)。
ところで、世田谷区では熊本区長が引退を表明し、来年4月以降は新しいリーダーのもと、新しい世田谷区がスタートすることが決まっています。
誰が手を挙げるのかは分かりませんが、間違いなく春から大きく変わる世田谷区に対して、時には修正し時には協力していけるよう、民主党公認の17人の候補がちゃんと勝ちあがってくることこそが我々の使命だと思っています。
よ〜し、書いているうちに気も引き締まってきました!
さて、いよいよ議員生活4年が過ぎようとしているということは、「秘書日記」からこの「外野席」に引っ越してきてからも4年が経過するということです。
振り返れば2007年5月1日からスタートし、ほぼ4ヵ月に1度の掲載で、今回が12作目になり、奇しくも4年のうちに3回も年頭を担当させて頂いておりました。
春に向けて「チーム手塚」の面々もそれぞれの戦いをスタートしています。
群馬の山男との同居も早4年。少々感傷的な想いがしなくもないですが、執筆期間が広がることは、そのままチーム手塚の輪が広がるということ。
きっと荒波を越えて、この「外野席」も「内野席」も執筆者が増えることだろうと確信しています。
さぁ、頑張るぞ!
街中にポスターが目立ち始めました。議会も何となく浮つき始めました。
来年4月の統一地方選挙に向けて、年末あたりまで準備が加速し、年明けからは活動が本格化するってのが、大半の地方議員のスケジュールではないかと思います。
さて、街にポスターが増えるということは、それに連動してポストに入るビラの種類も増えるということに相成ります。こうした発信物を見ていて良くあるの
が、「私はこれをやりました!」と大きくアピールされた内容。まさに新聞一面のスクープよろしく、いやむしろ号外かと言わんばかりにドド〜ンと大きな文字
が飛び出してくるわけです。
ところが現実の話、議会で可決されるものは当然過半数の賛成を持って成立しているので、100%個人のおかげというのはほとんどありません。世田谷区議
会は過半数を占めている会派はありませんから、どこか単独の会派のおかげってことすらないんです。もちろん世田谷区議会民主党が賛成して成立した条例なん
て、それこそ山のようにありますし...。じゃあ何を持って自分がやったと主張するのかといえば、そのへんは結局あいまいで、言ったモン勝ちっていうのが実態
のようです。
だから、街にビラが出回る毎に議会の中で
「あいつのビラは言い過ぎじゃない?」
とか
「あれは嘘だよね」
とか
「あれは何年も前からウチが言ってた政策なのに」
というような意見が飛び出たり、しまいには議会で問題になったりするんです。
誰がやったより、どう変わったかが区民には大事なんですけどね。そりゃ真っ先に声をあげて、それが日の目を見て、思い入れの深い政策はありますよ。
初めて駅に立った時から言ってきた議員の交通費の問題。区議会議員が本会議や委員会に出席するたびに支給されていた費用弁償6000円。今年からやっと
実費支給に変わって約1000万円以上の予算減になりましたし、先日の参議院選挙後に話題になった、国会議員が月半ばで就任した場合に丸々1ヵ月分の歳費
が支給されているのが寄付で返還できるように変わったのも、そもそも2000年に初当選した手塚さんたちがずっと主張してきた内容でした。
感慨深いのは事実ですし、目指した社会の一端が実現したのも事実ですが、一方で決してそれがゴールではない中で、やったことを誇るよりも次にやらなきゃいけないことを伝えていくことの方が重要だと思っているんですけど、どうやら少数派のようです。
普段はあまり区政が注目されない中、土壇場でしっかりアピールすることが得なのは理解できますが、今年税収が150億円も減り、来年も同じような見通しという待ったなしの状況で、目指す対応策をちゃんと示すことこそ必要な発信なんでしょう。
まぁとにかく4年に1度モソモソと動き出して、出どころのあいまいな勲章を誇るような議員には決してなるまい。それが東京5区の、民主党が創り上げてきた政治文化。手塚イズムなのですから。